奥旅net

なんやこれ

8/5日記

戦闘に行った

 銭湯でした~wタイポごめんね~w

 しょーもな、いやダジャレやん

 初っぱなからダジャレ、赤点

 

 それはそうと銭湯むっちゃいいよね。富士山のタイルのトラディショナル・セントーも、しゃれた露天風呂のスーパー・セントーも。銭湯の衰退が叫ばれる今でも若者から老人まで集まってあっちゃこっちゃで裸でなんか話してるわけで。どんなにシリアスで真面目な話をしていてもこいつらみんな裸なの、よくよく考えると草生える。生えねーよアホ。きっと銭湯ならどんなふざけたこと言ってもまるっと丸出し状態に免じて水に流してくれる。銭湯だからお湯か。

 またダジャレかよ、赤点。留確。

 

 閑話休題

 

 いろいろ話せるのもそうですが、銭湯の何がいいかっていろいろ考え事ができるところ。私は夜のスーパー銭湯の露天風呂の水面にゆらゆら星のように光ってる反射した電灯とかテレビの光とかを見ながらよーわからんことを考えるのが好きです。すげー幻想的ですよね、アレ。南の島の夜の海にプカプカ浮いているような錯覚を受ける。実態は街中のスーパー銭湯の明かりですが。時々送迎バスの案内とかで我に返るやつですが。きっと、私が生まれてから今まで思いついた全ての面白いことは銭湯で思いついていたんだ。

 しかし、公衆浴場のない文化の人間はどうやって面白いことを思いついているのでしょう。自分の知る限りアメリカにもイギリスにも銭湯はありません。ジミヘンもクラプトンもいつやべー音楽を思いついたのでしょう。ローマにはテルマエがあったので別ですが、ギリシアアリストテレスソクラテスはどうやって思索にふけったんでしょうか?エジプト人は何に浸かりながらピラミッドの建設計画を立てたのでしょう。

 

 ふしぎですね~~。

 

 え?今日は銭湯で何かいいこと思いつきましたかって?

 なんも思いついてないです。

 

むずかしのキャッチコピ

 アイドルマスターの言語IQが高い方ことアイドルマスターシャイニーカラーズ、やってますか?

 最近、『サマーアイドル2020』といって、アイドルの画像と自分で考えたキャッチコピーを組み合わせて架空の商品の宣伝をしようという企画をやっているんですよね。(ゆーてそこそこ前から始まってますが)

 で、私は全くやる気なかったのですが、まあ大量にキャッチコピーがTwitterのタイムラインに流れてくるので少しやってみたくなった。結果がこちら

 なんやこれな?自分でもいいのか悪いのかわからない。自分で作ったのがいいのか悪いのかわからんので、TLに流れてくる他人が作ったやつももちろんどういうのが良くてどういうのが良くないのかあんまりわからない(きっと皆さん素晴らしい作品を世に放っているのだとは思いますが)。

 さてこの近頃オタクが作りまくっているキャッチコピー、「痛い」呼ばわりする人もいるわけですが、しかし私はそうみんなの作品を頭ごなしに「痛い」とは言い切れない。きっといいやつも混じってるんですよ、沢山。

 ただ、今時人間が韻文やら短い言葉に対するセンスに疎いから、作る側も見る側も「よーわからん(目玉ぐるぐる)」なままで作っては掲載してしまうのではないでしょうか。

 よく考えたら、近年市民権を得ている韻文って歌の歌詞しかないんですよ。近頃詩人で食ってける人はよっぽどのよっぽどピープルしかおりませんし、俳句はもはやプレバトの一コーナーと化してます。短歌は古文でやったやつとどーちがうの?!状態だし。

 私はこの状況あんまり好きではないのですが、詩歌もっと流行れの話は一旦置いといて。とにかく、歌を除いては韻文というものに触れる機会のない現代人は、コピーという一種の『一行詩』に対して、どうすればいいのかとか何がいいものなのかを見る目ってあんまり肥えてないと思うんですよね。まともなキャッチコピーとなると、『笑えるか否か』という単純な評価基準のあるネタに振りきったやつよりもなおさら評価しにくいでしょう。

 そんな現在において、オタクに推し(担当ともいう)アイドルを輝かせる『一行詩』を作らせるシャニマス。こいつなかなかやるな~~と思ったりしたのでした。私もやってみて普通に難しかったし、それでいて普段は使わない言語の使い方を考えて頭回すの楽しかったし(出来のほどはおいといて、ね。)。さすシャニ。

 そして、きっとあのTLの中にいるのであろう、立派な『一行詩』を送りつけては運営をも唸らせてしまうオタク。お前こそが一番すげえよ。